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「若草の会」の歩み

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 「NPO法人若草の会」は、知的に障害のある方々の余暇活動等の充実を図り、その生活を豊かにすることを目的としています。

「若草の会」の歩み

 1977年(昭和52年)市内の御滝中学校特殊学級の卒業生5名が、担任だった教諭に「学校卒業後も勉強をしたい」と相談したことから、この会は始まりました。9月から始まりましたが、始めた当初は各家庭が持ち回りで場所を提供し、「職場や社会生活での悩み事を話し合い,励まし合う場」でした。

 1978年(昭和53年)相談を受けていた教諭が船橋中学校に異動したのを契機に、船橋中学校の特殊学級の教室を借りて実施するようになり、多いときは14名の参加がありました。担任である教諭が声をかけ、他の市内の特殊学級の教諭も参加するようになり、定期的な活動がスタートしました。一方船橋市では、障害のある子の保護者と特殊学級の担任たちで「障害児教育を考える会」を結成、この活動も支援してくれるようになりました。

 1979年(昭和54年)毎月10名程度が参加するようになりました。
 1979年は養護学校が義務化された年でした。船橋市立船橋養護学校が開校しました。

 1980年(昭和55年)9月 「青年学級ニュース第1号」が発行されました。これまでに42名の卒業生が参加したことや『いつの間にか卒業生にとってこの会が大切なものになっている』『最近集まってくる人数も増え20名近くになり、今後ますます増えてくることが考えられる』『会方針・親の会・市の援助要請・指導陣の整備・資金などの問題を抱えて、これからは多くの方々の考えを結集し充実を計りたい』等の内容が記されています。
 3月 「青年学級ニュース」の名前が「若草の会ニュース」となりました。

 1981年(昭和56年)度より市の社会福祉協議会から助成金(年7~10万円)をいただけることになりました。助成金は1990年まで10年間いただきました。
 4月 会員達で年間計画が話し合われ、午前中は学習(例、食生活について)午後はゲーム・スポーツを行うこと、5月ハイキング 8月キャンプなどが決まりました。
 新入会員の歓迎会が開かれ、55年に開設された高等部(市立船橋養護学校)の在校生も参加するようになりました。この4月から「若草の会ニュース」は、会の様子と次回の連絡を中心に、毎月発行して現在に至っています。

 1981年は「国際障害者年」の年でした。これを契機に、年度途中から船橋市中央公民館の職員が一緒に活動に参加するようになりました。「公民館としても,社会教育のひとつとして、ぜひこのような活動を行いたい」ということで、次年度から中央公民館の事業として新たなスタートをすることになりました。
 2月には中央公民館の見学、3月には中央公民館を会場に新会員の歓迎会を行いました。

中央公民館主催になってからの取り組み(1982年度~2016年度)

 1982年(昭和57年)度
 中央公民館の主催事業となり、青年学級から、青年教室へと位置づけが変化しました。「仲間作りの場」だけではなく「生活に必要な知識や技能の習得」を目的に加えました。中央公民館に「若草の会」担当者を配置していただき、会員への連絡(ニュースの発行)、会場の確保など事務的なことはすべて行ってくれることになりました。また、財政的な支援もしていただけるようになりました。
 中央公民館をメインの会場にして,屋外のハイキングやスポーツなどの行事についても、9時30分に中央公民館前に集合するという形で年間計画が立てられました。
 この年は湊中学校や船橋中学校のグランドを借りてスポーツ等を行いました。
 (その後 1988年(昭和63年)6月から、若松にある船橋市青少年会館の体育館とグランドが借りられるようになり、スポーツの時に利用しています。)
 11月 「市民がつくる文化祭」に参加して、合唱「若者たち」「戦争を知らない子どもたち」の2曲を歌いました。文化祭や合唱祭の参加はその後も続き、現在、障害者の日の事業の参加につながっています。(この後の取り組みについては後に記載)
 3月 「青年教室若草の会 活動の記録 わかくさ №1」を発行し,5年間の取り組みをまとめました。

 1984年(昭和59年)度
 6月から 通常(ハイキングや宿泊以外)の若草の会の集合時刻は10時 解散は3時となりました。
3月 船橋市特殊教育振興大会、合同発表会で「戦争を知らない子どもたち」「友よ」「わかものたち」の歌を歌いました。

 1985年(昭和60年)度
 1月 新年会をかねて「模擬結婚式」を行いました。『会長が花むこで、女性会員がはなよめ役を務めました。ウェディングドレスを着た女性は本当の花よめさんのようできれいでした』(1985年2月若草の会ニュースより)
 2月「青年教室若草の会 活動の記録 わかくさ №2」を発行しました。
 『一度参加した人は会員として,その後のニュースを自宅に送るようにしている。“久しぶりに参加したくなる”という動機を大切にして,そういうときに受け入れられる態勢をとっていきたい。 毎月の例会の参加者は30から40名ぐらい、例会の参加費は200円である』と記されています。

 1986年(昭和61年)度
 10月 お茶と書道の外部講師をお招きし、趣味の講座を開催しました。
=その後、年に1回程度趣味講座が開催され、様々な内容が行われています。
 11月 中央公民館の文化祭に、10月に書いた書道作品と若草の会の1年間の活動の様子を展示しました。

 1995年(平成7年)度
 3月 スタッフを広報船橋で募集しました。それまでのスタッフは教員が中心でしたが、その後は数名の教員以外のスタッフも活躍してくれています。

 1996年(平成8年)度
 4月 第1回若草の会総会を開催しました。
 会則を整備し、会の名称は「若草の会」となりました。
 これ以降、年度当初に会員、保護者、スタッフが一同に会した総会を行っています。
 青年学級対応ソフトボール大会に向け、定期的に練習をしたいという会員の声で、4月から9月まで希望者でソフトボールの練習を行うことにしました。
 (市立船橋養護学校のグランドをお借りすることができ、9時現地集合12時解散で行うことが決まりました。)

 1999年(平成11年)度
3月 役員改選では、初めて投票用紙を使って,選挙を行いました。

 2000年(平成12年)度
 5月 千葉県障害者スポーツ大会ソフトボールの部に初めて参加しました。『はじめて県の大会にでました。本当の審判だったのでみんながかたくなって、緊張の連続でした。富里福寿園+たびだちの村合同チームに14対5で負けました』(若草の会ニュースより)
 8月 青年学級対抗ソフトボール大会では練習の成果もあり、一部リーグの若草の会A・二部リーグの若草の会Bともに優勝しました。Aチームは決勝で君津養護OBと6対5、Bチームは父の樹ラッキーズ(A)に10対9と感動のダブル優勝でした。
 3月 役員選挙では、市の選挙管理委員会から、実際の選挙で使われている記載台と投票箱を借りて、投票による役員改選を行いました。『なかなかの激戦で、1票差による当選もあり、一人一人の1票の大切さがわかる選挙でした。』(若草の会ニュースより)
 この年以降、毎年実際の選挙で使われている記載台と投票箱を借りて行っています。

 2002年(平成14年)度
 1月 25周年記念新年会を行いました。
 25周年の記念誌「青年教室若草の会 活動の記録4号」が配布されました。

 2003年(平成15年度)
 6月 千葉県障害者スポーツ大会ボーリング競技に男子6名、女子2名が参加しました。『正式の競技で公式審判員が各レーンにいてちょっと緊張しましたが,どの方も親切で楽しく競技ができました。金メダル男子会員188点 女子会員174点』(若草の会ニュースより)一方 これまで参加していたソフトボール競技は秋の平日開催になってしまい、参加できなくなりました。
 8月 塩原温泉ホテルおおるりに泊まりました。この年からおおるりグループを利用するようになりました。送迎バスを安く利用でき、経費も安く抑えられ、多くの会員が参加できるようになりました。

 2005年度(平成17年度)
 4月 総会で保護者会の会長選ばれました。(現副理事長)

 2006年(平成18年)度
 12月 横洲かおるさん(劇団四季出身のボーカリスト)によるクリスマスコンサートを行いました。

 2008年(平成20年)度
 12月 お琴の調べを聴く会 山田流のお琴の奏者3人をお招きして、お琴の演奏を聴きました。

 2009年(平成21年)度
 12月 障害者週間の記念イベント(船橋市障害福祉課主催)に参加、「世界にひとつだけの花」を歌いました。

 2010年(平成22年)度
 12月 若草の会の昨年の障害者週間での発表の様子が、広報「ふなばし」の表紙になりました。
 障害者週間の記念イベントでは、市立船橋高校吹奏楽部の伴奏で「世界にひとつだけの花」を歌いました。2011年も同様に市立船橋高校吹奏楽部に伴奏していただきました。

 2011年(平成23年)度
 4月 3月11日におきた東日本大震災の影響(計画停電や交通機関の乱れが想定された)のため、予定していた新入会員歓迎会や総会が中止となりました。青少年会館のグランドも液状化の影響で使用できなくなり、この年のスポーツはすべて体育館で行いました。
 11月 第38回千葉県特殊教育振興大会において、前保護者会会長が表彰されました。「若草の会の創生期から約35年間にわたって、青年たちを見守り支援してくれている」ことの功績によるものです。

 2012年(平成24年)度
5月 第14回千葉YMCAチャリティーラン基金より5万円の寄付をいただきました。

 2013年(平成25年)度
 12月 これまで行ってきた年賀状作りをやめて、障害者記念事業のイベントへの参加(発表・見学)を行いました。
 3月「会員についての調査」を実施しました。会員数の増加、年を重ねて体調等に変化のある方等を知り、緊急時の対応を的確にできるようにするためです。この後毎年確認を行うこととしました。

2014年度(平成26年)度
 4月 総会でスタッフの運営委員長を木藤洋子さんから木内洋子へ引き継ぎました。
 会費未納者に、会員として継続する意思があるかどうかを確認、会費の納入をお願いしました。これ以降毎年行っています。
 12月 障害者週間記念事業が若草の会の前日、土曜日に船橋駅北口FACEビルで開催されたため、会の代表として役員が参加しました。若草の会当日は年賀状作りが復活、役員の障害者週間記念事業の発表の報告を聞いたり、ゲームを行ったりしました。
 2月 これまでボウリング大会の会場として使用していた津田沼のエースレーンが閉店したため、稲毛駅前のヤングボールで行うこととなりました。

 2015年(平成27年)度
 4月 総会で、新会長や会の役員が選ばれました。また、これまで長期にわたって会をまとめ、会員をリードしてくれた会員、副会長の方々3名に感謝状を送りました。
 9月 趣味講座に中央公民館の絵手紙サークル「菜の花会」の方々を講師としてお願いしました。果物などを題材にユニークな作品ができました。翌2016年も来てくださいました。

 2016年(平成28年)度
 11月 運動会は,青少年会館が工事中だったため、隣の若松中の体育館をお借りしました。中学校の体育館は思ったより広く、走り回ることができました。